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トの康のモデルは「徳川家康」?オロチ討伐後の将軍候補!?


第941話“えびす町の人気者”にて、トの康の正体が判明した。

元白舞大名“ハリネズミの康”こと「康イエ」

6512.jpg

この名前からは、否が応でも「家康」が浮かぶ。

トの康のモデルは「徳川家康」なんだろうか。

破天荒なおでんを「織田(信長)」と考えると…

オロチは、切れ者な一面を持ち女好きだった「豊臣秀吉」

特に天下人になってからの秀吉がモデルっぽい。

信長の次に天下を取ったのは秀吉だしね。

そして史実の流れを汲むのであれば、オロチ失脚後の将軍は「康イエ(トの康)」になるかもしれない。

今回は、「康イエ」と「家康」の共通点を探してみたい。



① 愉快な容貌


トの康は、えびす町の通称「あずきババー」にこう言われていた。

顔も体もふざけてるけど


顔はみたまんまだけど、体も?と気にはなっていた。

実は家康も、背が低く下腹が膨れた肥満体で醜男であったとされている。

家康に謁見したルソン総督は、著作の中で、家康の外貌についてこう記している。

彼は中背の老人で愉快な容貌を持ち、肥っていた




② 耐え忍ぶ者


元白舞の大名であった康イエは、世間では既に死んだ者とされていた。

そこからの20年は「耐え忍ぶ」ものだっただろう。

それを感じさせない為に、常に「えびす顔」だったのかも。

かくいう家康も、幼少のころから十数年間人質生活をおくり、家臣の裏切りにより祖父と父を殺されている。

幼少の頃より長らく「耐え忍ぶ」生活をしていたことは想像に難くない。

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③ 家臣に慕われていた


トの康が羅刹町で磔になった事で、大勢の見物客が集まっていた。

これまでも羅刹町の牢屋敷には光月家に加担する者達が入れらえていたが、その時とは周りの空気感が違う。

役人に対して「やめろ」「その人を降ろせ」と叫ぶ者、康イエに「よくぞご存命で」と名を呼ぶ者、花の都に住んでいると思われる者達までが皆、康イエを慕っている。

徳川家康にも、多くの優れた部下がいた。

秀吉が自分の持つ宝物を自慢し、家康にどんな宝物を持っているのかと尋ねた時、家康はこう答えた。

私は田舎の生まれですので、

これといった秘蔵の品はありません。

しかし、私のために命を賭けてくれる武士が

500騎ほど配下におります。

この侍たちを何にもかえがたい宝と思って、

いつも秘蔵しています。




④ ハリネズミ


康イエの異名は“ハリネズミの康”。

これはその特徴的な頭髪から来ていると思われるが、家康にこの「ハリネズミ」というキーワードは当てはまるのかな?

家康と言えば「狸オヤジ」というイメージがあるけど、これは彼の本質ではなく実態を歪められたものだ、という話もある。

古代ギリシアの詩人アルキロコスは政治家達を分類し、「たくさんのことに通じるキツネ」と「大きなことを一つだけ知っているハリネズミ」と謳ったことがあるそう。

あえて家康をそれに当てはめるなら、志を一貫して持ち、天下国家に平和をもたらし、270年間の徳川幕府を持続させた点で、「ハリネズミ」ではないか、と。



最後の「ハリネズミ」エピソードはちょっと強引だけど、こんな感じで、康イエは「家康」をモチーフにしているのかな?と感じる。

やはり、オロチを討った後の将軍は…

この先の展開が楽しみだ!!


[関連リンク]

捕らえられた丑三つ小僧の正体

トの康=元白舞大名「ハリネズミの康」


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コメント

>ギロンさん


今 出先なので、帰ったら消えたコメントを復活させますー!

しはしお待ちを(╹◡╹)

No title

>かんりにんさん
>塩アメさん

どうもです
メールの件編集したら消えちゃったみたいです

スレチですが簡単にまとめときます
家康公は今川の人質でしたが一門衆として優遇され今川の尖兵として行動しています
したがって桶狭間後の独立は裏切りです
忠義の心が家康公にあれば今川も後に豊臣も裏いりません
その悪行を隠ぺいするための今川の圧政三河武士の忠義です
そしてそれは後年幕府が下剋上を阻止するシステムである朱子学の家康公が植えた種です
歴史の面白いところでこの朱子学で幕府は滅ぶのですけどね

No title

ギロンさん、ご丁寧な回答ありがとうございました!

なるほど。
「忠義」の考え方など、大変勉強になりました。
そして、とっても面白い。
これをきっかけに(僕の苦手な)歴史物を読んでみようと思います。

僕は歴史の基本的な部分が欠落しているので、
また的外れな質問をすると思いますが、よろしくお願いします。

お礼が遅くなって申し訳ありません。

No title

追記

質問に答えていませんね
人質時代に家康に三河の国人がついていったんではありません
今川支配で本領安堵された国人の三河支配の神輿として松平の当主家康を据えただけです
とおもいます
家康人質時代三河は太原和尚が対尾張(実は伊勢湾経済圏)を伺って支配し、太原亡き後は義元親政です

なぜそうなのかは室町幕府との複雑な支配権の体制と現地の力関係による複雑な状況を整理しないと困難なのでごめんなさい

No title

>塩アメさんへ

自分も歴史の専門家ではありませんが、どちらかというと軍オタですw
軍オタ的資料考察によると三河武士が忠義において特別な集団であるということは全くありません
松平党は大久保党、酒井党、石川党、本多党などと大きな差がない国人です
ただ三河で一番力が強く周辺をしたがえただけです
桶狭間のあと家康を中心に独立を測ったのは家康の能力によるものが大きいと思います
ただ家康のカッコいいことの一つですが独立のあと三河一向一揆が勃発し、この熾烈な宗教戦争を家康が血反吐を吐いて抑え込んだことが三河という地勢を境界とする一個集団の特別な結束を確認したかもしれませんが・・・
忠義とかは徳川史観のプロパガンダではないでしょうか異論はありますでしょうが
ちなみに石川党党首石川数正は秀吉に篭絡されました 関東移封後大久保党は一度追放されたり
酒井党は家康子飼いの本多平八、井伊直、榊原より優遇されていません また裏切者の本多正信をブレーンにするなど忠義などは家康自身これっぽっちも信じてなかったかもしれません
逆にそこが超カッコいいと思います
逆ベクトルで夢を壊してすみません
という見解があり自分も支持します

信長=おでんは面白いですね。織田はおでんと読めるし。

No title

かんりにんさん、「ONE PIECE外のガチ歴史」でスミマセン(笑)。
僕も歴史が得意ではないので、皆さんのお知恵をお借りしたくて。

家康が今川の人質になっていたとき、
家来は家康を通して今川に仕えていたことになりますが、
戦で手柄を立てても正当な評価はしてもらえなかったと思うんです。
所詮は「人質」の家来なので。

今川義元が桶狭間で亡くならなければ、
家康は独立もできず飼い殺し状態で一生を終えたかもしれません。
それでも家来たちは家康について行ってます。
その忠誠心や結束力が並外れているように、僕は感じるのです。
だから三河武士は特別なのかなぁと…。

家康が「私のために命を賭けてくれる侍たちが宝」と言ったのは、
心の底から出た言葉なんだろうと思います。

>塩アメさん

> ずっと疑問に思っていることがあります。
> 松平(徳川)家への三河武士の忠義心の強さについてです。

ONE PIECE外のガチ歴史の疑問キタ('Д')笑

ぼくは全くわからんのでどなたか~~~~!!!

Re: タイトルなし

> 秀吉を暴君って歴史勉強しなよ。

勉強してきます('◇')ゞ

>ただの通りすがりさん

> 織田信長=光月おでん
> 明智光秀=黒炭オロチ?
> 徳川家康=トの康
> 豊臣秀吉=サル=ルフィ?

ここでルフィを絡ませたら、しかも秀吉にしたらややこしそうな('Д')w

No title

ずっと疑問に思っていることがあります。
松平(徳川)家への三河武士の忠義心の強さについてです。

家康の父・広忠が1549年に暗殺され、松平家は急激に衰退しました。
家臣たちはその日の食べ物にも困る有様だったのに、
家康の成長だけを楽しみに耐え抜いたようです。
家康の初陣は1558年、桶狭間の戦いで今川氏から独立したのは1560年。
家臣たちは、10年近くも待ち続けたことになります。
食うか食われるかの戦国時代、強い主君に仕えたいと考えるのは当然で、
そのために主君を替えるのは恥ずかしいことではなかったと聞きます。
なのに長年待ち続け、戦においても家康のために喜んで命を捧げる。

三河武士が特別なのか、そうではないのか?
特別ならば、なぜそうなのかを教えていただきたいです。
僕のいる地域の歴史には戦国時代がないので、ピンとこないのです。

秀吉を暴君って歴史勉強しなよ。
恐らく朝鮮出兵の事だろうが信長も唐入りを考えていたし。

織田信長=光月おでん
明智光秀=黒炭オロチ?
徳川家康=トの康
豊臣秀吉=サル=ルフィ?

ワノ国でものモデルはこんな感じですかね?

Re: タイトルなし

> やはりオロチにも何か別の名前がありそうですね

黒炭オロチ、以外の名前が?

>ギロンさん


> 「堅い信念」がハリネズミの暗喩として哲学者バーリンさんの著作に記されてるのですね
> 確かに家康公は堅い信念のもと耐えて耐えて元和偃武を演出したんですものね

補足ありがとうございます(^^)/

Re: タイトルなし


> オロチは暴君ですが切れ者な一面がありますから、天下人になってからの秀吉がモデルのようですね
> あとは女好きなところも一緒ですね

確かに!記事に追記しなきゃだ(*'▽')

>zebraさん

> 康イエも過去に当時白舞大名として多くの部下を死なせてしまったか何かの失敗をしており それがあの常に笑っている顔になった原因とつながってる可能性とかもあるのでは、と思っています。

オロチによって花の都以外の郷は滅ぼされたと言ってましたんで、そういう事もあったんでしょうねぇ。

>あっかんべェさん

> 姓を伏せた意味があるのかもなぁとか。
> 未だに光月家と黒炭家だけだから気になってます。

確かに。

姓があるのは大名クラスだけな気もします(^^

Re: No title


> オロチが秀吉でおでんが信長だとするなら、秀吉と信長の関係で個人的に気になるのはお市の方ですね。

信長周り、家康周りの人物を詳しく調べるのも面白そうですよね(*^^)v

>ゆーとさん


> 英語版では、確か、康イエの説明を欄外に記していたと思います。
> いきなり、康イエと言われても海外の読者には伝わりにくいでしょうし。
> 康イエは家康のことと書いていたはず。ご確認ください。

ジャンプ公式の英訳ってどこで見れるのですかね?

Re: No title

> 九里、白舞の大名は出たので、希美、兎丼、鈴後の大名も出るんだろうか

亡くなっていなければ(/ω\)

Re: No title

> ネズミを小柄な康イエとするならば、ハリはさしずめ開国後に海外へ向かっていくたくさんのワノ人たち?

ハリネズミは康イエだけではなく、ワノ国民をも指していると。ふーむ。

>ミヌアーノさん

> ギリシア史まで引き合いに出す管理人さんの博識たるや 笑

いえ、ググりたての浅い知識ですねん('Д')笑

>かつさん

> トノヤスは自分から捕まりにいったんかな?きんえもんの絵を知らん仲間がいる事でそれを知らせるために捕まったような

その可能性大な気がしますね~!(^^♪

また記事挙げときます!!

>リスキーさん

> 雰囲気は若かりし頃の秀吉ですけどね。
> 既に出てますが、秀吉は禿げネズミでしたけどね。

太鼓持ち的なのも、かつての秀吉っぽさがあるのですかね?

Re: No title

> 他の地域にも大名いたんだろうけど皆オロチに敵対して滅ぼされたんだろうか?
> オロチ自体が元大名かもしれないけど

オロチも元大名っぽい気がしますね!

残りの大名は、亡くなったのか、兎丼に居るのか、はたまか…

>romさん

> トノ康をわざわざ磔にしたので、もしかして鳥居強右衛門のようなシーンが来るのでしょうか。長篠の戦いの影の功労者と呼ばれている男です。そうなるとトノ康は死んでしまうのですが 笑

ロジャーの様に死んで時代を変える程の男なのか…!!?

>Sivaさん

> ハゲネズミと信長に呼ばれておりましたね

ですね!ものすごいあだ名ですよね。笑

やはりオロチにも何か別の名前がありそうですね

No title

すごいですね
アルキロコスですか
ぜんぜん知らんかったんでちょこっと調べてみました
「堅い信念」がハリネズミの暗喩として哲学者バーリンさんの著作に記されてるのですね
確かに家康公は堅い信念のもと耐えて耐えて
元和偃武を演出したんですものね
じぶんなんかハリネズミでは「ハロー張りネズミ」しか思いつかんかったです

秀吉は言わずと知れた百姓から天下人に上り詰めた出世頭
若い頃は知将として数々の武功を立てましたが、老いてからは暴君としての振る舞いが多かったそうです
オロチは暴君ですが切れ者な一面がありますから、天下人になってからの秀吉がモデルのようですね
あとは女好きなところも一緒ですね

家康をモデルにしてるのなら

もうすでに既存コメントかもしれませんが家康とくれば三方ヶ原の大敗。

若き家康はこの戦で武田信玄に堅固な守りで固められた浜松城から 誘いこまれる形で三方ヶ原の台地におびき寄せられました。

家康自身 信長との同盟は上下関係な同盟で頭が上がらない状態だったことが気持ちに余裕がなかったとも言われています。

信長から援軍はきたのに浜松城を素通りされていて このまま城にこもっていれば 信長から
「家康、お前何もしてないじゃないか」と非難されるのを恐れており 何が何でも武田軍と戦わなければならないという功を焦ってたのではないか、と

結局 三方ヶ原の台地でまちかまえていた武田軍に敗北して 1000人近い兵を死なせてしまう苦さを体験したそうですよ。

もしかしたら康イエも過去に
当時白舞大名として多くの部下を死なせてしまったか何かの失敗をしており それがあの常に笑っている顔になった原因とつながってる可能性とかもあるのでは、と思っています。

No title

康が姓で、イエが名前・・・じゃないですよね?
だとしたら姓を伏せた意味があるのかもなぁとか。
未だに光月家と黒炭家だけだから気になってます。
「光月の血」なんて言葉が出ているので大名家ともなると家格も大事だと思うので・・・。
家紋も出てこないかなぁ・・・。

家康との共通点、難しいですね。
確かに「おでん」=「織田」と考えれば面白いです。
秀吉、明智、十勇士など、もしやというのもありますし。

ただ弁慶が出てきたように。
あるいは、夜明けゼよ!がでたように。
日本の様々な時代をモチーフにしているなと思ってます。
桃太郎に至っては童話でもあります。
九鬼水軍なんかもモチーフかもとか思ったり。
リュウマはまるで宮本武蔵だなぁと思ったり。

シンボルマーク的に家康の名前をもじったのかなぁと思ってます。

No title

オロチが秀吉ですか。光秀っぽいのかなと思っていたのですが、確かに秀吉のような感じにも見えますね。

オロチ=秀吉、康イエ=家康、おでん=信長という説を拝見いたしました。

秀吉と家康でパッと浮かんだのは関ヶ原です。これは秀吉の死後起こった戦なのでなんとも言えないのですが…
関ケ原で東軍に寝返った小早川秀秋はかなり印象に残っています。彼は備前岡山城主のようですが、岡山は希美のモデルになっているように感じるので、希美にはもしかしたら裏切り、寝返りエピソードが出てくるのかなと思ったりしています。


オロチが秀吉でおでんが信長だとするなら、秀吉と信長の関係で個人的に気になるのはお市の方ですね。
秀吉は戦国一の美女と謳われたお市の方に憧れていたようですが、秀吉はお市の方の夫である浅井長政を殺した人物なので到底好意など抱けないでしょうし、姫であるお市は農民上がりの秀吉を嫌っていたとどこかで見た記憶があります。
浅井長政には息子がおり、落城後隠れ住んでいたようなのですが、秀吉に見つかり処刑されたそうです。落城後身を隠していたところなどモモの助っぽいなと思ったのですが、この処刑命令を出したのが信長なのでなんとも…
処刑されたのは嫡男で、次男は殺されることなく仏門に入ったそうです。
このこともお市が秀吉を嫌う原因であったと聞いたことがあります。息子はお市の子ではない可能性の方が高いようなのですが、それでも息子は息子でしょうから嫌うのも無理はありません。処刑された時、まだ幼かったようですし。

お市は亡くなる時のエピソードからトキ様っぽいなと思ったことがあります。秀吉はお市の長女である淀殿を側室に迎えているので、お市と淀殿がトキ様と日和っぽいのかなとも思いました。淀殿は浅井三姉妹で最もお市に似ているという説もありますし。そうなると、日和はトキ様に似ているのだろうか?とワクワクしてしまう自分がいます。

あと、九里は九州モデルなのかなと思っていまして、尾田先生の郷里である熊本のエッセンスも入っているのかなという印象を受けています。
熊本と言えば、熊本城を築城した加藤清正。清正は秀吉の家臣です。このあたりも関係してくるのか、気になっています。

No title

康イエは、モモの助の後見人になるのでは。
徳高き人は、主人を陰で支えるもんですから。
尾田さんは熊本出身との事。
徳川政権時は、細川家が肥後熊本を治めていたこともあり、家康には好印象を持っているのでは。
それ故、康イエも名君として描いたのかも。

英語版では、確か、康イエの説明を欄外に記していたと思います。
いきなり、康イエと言われても海外の読者には伝わりにくいでしょうし。
康イエは家康のことと書いていたはず。ご確認ください。

No title

九里、白舞の大名は出たので、希美、兎丼、鈴後の大名も出るんだろうか

No title

ネズミを小柄な康イエとするならば、ハリはさしずめ開国後に海外へ向かっていくたくさんのワノ人たち?

ギリシア史まで引き合いに出す管理人さんの博識たるや 笑
そんな知性の持ち主を魅了するワンピースという作品はやっぱ面白いんですね

康イエでなんとなくガイモンを思い出しました

No title

トノヤスは自分から捕まりにいったんかな?きんえもんの絵を知らん仲間がいる事で
それを知らせるために捕まったような

狂死郎とゾロがバトルしそうな予感!トノヤス助かって欲しいです。

尾田っち先生!! トノヤスは生かして下さいと願いますよー

雰囲気は若かりし頃の秀吉ですけどね。
既に出てますが、秀吉は禿げネズミでしたけどね。

No title

他の地域にも大名いたんだろうけど皆オロチに敵対して滅ぼされたんだろうか?
オロチ自体が元大名かもしれないけど

トノ康をわざわざ磔にしたので、もしかして鳥居強右衛門のようなシーンが来るのでしょうか。長篠の戦いの影の功労者と呼ばれている男です。そうなるとトノ康は死んでしまうのですが 笑 ワノ国の民が徳川軍のように奮い立つきっかけには丁度いい場面ですね。家康ルートか、強右衛門ルートか、今後が楽しみです。

秀吉は

ハゲネズミと信長に呼ばれておりましたね

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