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戦いの中で笑うカイドウ!終始嬉しそうなその理由は?


ルフィ達との戦いの中、終始嬉しそうなカイドウ。

二週間前に九里で倒したルフィの成長ぶりに、

ゾロとキラーの鋭い剣戟に、

ルフィ・ロー・キッドの本気を出した怪物っぷりに、

不敵な笑みを見せるカイドウ!

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これは自分と渡り合える強者に出会えた喜びだろう。

カイドウはこれまでの長い人生で自分と渡り合える強者はそう多くなかったと言っていた。

わずかだぞ……!!

おれと戦えるやつなど!!!


それは暴力の世界を望むカイドウにとって些か「退屈」な物だった事だろう。

そして、数少ないカイドウと渡り合える強者である「ロジャー」「白ひげ」「おでん」。

彼らも、自身と渡り合える存在と相対した時に笑顔を見せた。

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強者同士、通じるものがあるのかな。


特にカイドウはそれだけでなく、「死」について並々ならぬ美学を持っている。

「死は人の完成だ……そうだろ?」

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カイドウのこの死生観は、20年前の光月おでんの「見事な死に様」を目の当たりにした事で形作られたモノだ。

それ以前のカイドウは、ロジャーや白ひげについて「どこか甘ェ奴ら」と評していたが、20年前の「伝説の一時間」を経てこう変わった。

おれは“侍”が好きだ…

ロジャーも…“白ひげ”も…!!

うまくやりやがった…!!


「うまくやりやがった」とは、「見事な死に様」を遂げた事を羨んでいる表れだろう。

やはりカイドウの死生観は20年前のあの日に固まったと思われる。

「見事な死に様」を望むカイドウ。

ロジャーは死んで時代を変えた。

白ひげは死んで時代にケリをつけた。

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そしておでんは自分の死生観を180度変えてくれた。

カイドウはそんな彼らの様に死にたいのだ。

だからこそ、自身と渡り合える強者の存在は有り難く、戦いとなるとその喜びから笑みを浮かべる。

現在カイドウが進めている「新鬼ヶ島計画」も「古代兵器の入手計画」も、「ワンピースを目指す事」すらもその目的の為の手段でしかないのだろう。

さて、冒頭にまとめたカイドウの画像を見てみよう。

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なんとも嬉しそうである。笑

強者を前にした喜び、そして己に「見事な死に様」を与えてくれるのではないか?という期待がこの表情に現れている。

そんなカイドウの、強者故の退屈と独特な死生観からくる笑みだったのだろうと理解している。

コメント

No title

うわあああああというカイドウの声は悲鳴ではなくて歓喜してる感じ、なのでしょうか。
単行本で修正されるかも?

No title

カイドウに「命の大切さ」、「生きる楽しさや喜び」などを伝えるのがワノ国編の目的の一つなのかもしれません。原作1001話で生き生きとしていた彼を見てそう思えました。
そしてそれを担うのが主人公のルフィや息子(娘)のヤマトなどであるのかも?ルフィについてはその強さや「海賊王になる!」という本気の想いなどを感じてほしいと思いますし、息子(娘)のヤマトとは親子の和解をしてほしいと思っています。

ルフィにヤマト、そしてカイドウにとって救いとなる人物がまだいるのであれば、それは「お玉」であってほしいです。
ワノ国編は主人公のルフィとお玉の出会いから始まった感じですからね。お玉こそがワノ国編の原点ともいえるキャラだと思っています。原点だからこそ「ワノ国編はお玉で始まり、お玉で締める」という流れにしても良いと思います。
強い人間だけが、戦える人間だけが全てではない。8歳のお玉でもできることはきっとあるはず。お玉の優しさや想いなどがカイドウの心さえも動かせると信じています。

ある漫画にこういう台詞がありました。
「私もそう思うよ」
「生きているのはやっぱりいいよ!」
単純な気持ちではありますが、カイドウがまだ感じたことのない気持ちかもしれません。

今気づいたけどカイドウの顔ってロジャーに似てるね

実は誰よりも、おでんの生き様に感銘を受け、憧れているのが他ならぬカイドウなのでは?
侍が好きで、死の美学を探求する今のカイドウを形作ったのは、光月おでんなのではないでしょうか。

過去、誰かによって死なないような身体に改造された。
とかだったら、死を人の完成って価値観を持ってるのも少し理解出来るかも。

改造じゃなくても一部の幻獣種の特性が命の終わり方が人間とは異なるようになる。とか…ないか。

ローとキッドとルフィがチキンレースで見せたあのおもろい顔をカイドウにもしてほしい。

カイドウはロクな死に方しないだろうと思ってます。
最後はリンリンにやられるのでは?ゴッドバレーでも対立の構図はロックス対ガープ・ロジャーですが、カイドウを始めロックス一味がボスを裏切った結果かもしれませんし。
今となってのカイドウの死生観や美学、叶わないでしょうね。惨めな死に際だろうと想像してますが、いずれヤマトが違った形で意思を継いでくれれば、カイドウも本望かと…。
しかし、この怪物達の戦いワクワクしますね!ルフィ達はまだ通過点ですし、進化が楽しみです。

手下に加えるつもりだろうから
強いほど嬉しいんじゃないの??

強者

敗北 7回
捕まる 18回
死刑宣告 40回

強者だけど、昔は死生観からまともに戦わなかった? 
途中で変わった?
悪魔の実を食べてから変わった?

急いでいるのでしょうか・・説明が足らない。

余裕がある時は笑うけど本当にヤバいと思った時は普通に焦るよね
おでんにやられた時とか赤鞘に奇襲を受けた時とか

カイドウの顔がまだチラ見せ段階だったとき、口元がこんな笑い顔だったのを思い出した。

強者と戦えるのが喜びなら、何故おでんに卑怯な手で勝った後に、再度強者おでんと戦わなかったのか?
恐怖を感じさせるくらい強いおでんと。

納得できない。

ようやく自分を殺してくれるかもしれない奴が現れたかと思い嬉しくなって笑ったとか?w

レイリーはどうなんだろ?

なんかカイドウの死生観は、生まれながらに強い体を持ってるなら(まだマムみたいに過去が明らかになってないので)、全て戯言に聞こえて仕方ないのは自分だけですかね。
本当に自殺願望があって世界の真実を知りたいなら、マリージョアを龍形態で襲って大将含めた世界政府全軍と戦うだろうし、海賊王になりたかったら、他の四皇本気で潰しに行ってリオポーネグリフ奪いに行きますよね。
なのにそれをやらずに勝てる戦いや死なない自殺だけ楽しんで、20年以上も誰にも責められる心配のない和の国でダラダラ支配を楽しんでるので、言ってることとやってる事が全然違うなという印象です。
ルフィがマムに言った「海賊王になってねぇのがお前だろ」がまさしく痒い所に手が届く発言で、海賊王が目的なら、ルフィやロジャーのように今すぐ行動に移すはずだし、自分が負けない範囲で支配を楽しむカイドウとマムは、いくら世界最強と煽られようが二人に比べると器が小さく感じます。家族を作る目的の白ひげや、最近四皇になったばかりのシャンクスや黒ひげはまた違うでしょうが。

たとえば、10何年前のDSのゲームを最近やり初めて、ストーリーは終わったけど敵は全部味気ないコンピューター、でも10何年前のゲーム未だにやってるやつおらんよなって半ば諦めてたときに、ネット上で同じく最近やり始めてドはまりしてるやっと対戦できるナマのプレイヤーに巡り会えたとしたら。
そんなんもうニッコニコでしょ。
そんなもんだよ多分。

No title

ルフィは、死に美学などないんだということを示すことが勝ちだと思います。
また戦おうなのか、
次は1対1だ!なのか、
ロジャーと白ひげのように宴なのか。

侍たちも含めて「生きる」に向かった時が本当の勝利だぞと
闘うことが楽しそうなカイドウを見て、更に思いました!

死を完成ととらえるカイドウの思想は、ある意味戦国時代の武士の価値観(敵に殺されることは恥、それなら切腹)に近い気がして、カイドウの最期は自害みたいな展開あったりするのかな、、と。

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