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[尾田栄一郎 インタビュー] ONE PIECEが最初で最後の長編マンガ [2007/12/10 まんが☆天国]


現在はすでに閉鎖している「まんが☆天国「まんがのチカラ」」というサイトに、2007年に掲載された尾田先生のインタビューをまとめ。


――まず先生が漫画家になろうと思ったきっかけを教えていただけますか。


「まんが家」という職業を知った瞬間ですね。

幼稚園の頃、藤子不二雄先生の作品が大好きだったんですが、この人達がまんがだけを描いて生活しているらしいと聞いてとてもうらやましいと思ったんです。

それは当時の僕にとって「働いていない」と同義でしたから。

もちろん、まんが家はまんがを描くという仕事をしているんですが、子供にとって絵を描くことが仕事だとは思えないじゃないですか?

私の父がそうであったように、スーツを着て会社に行くことが「働く」ってことだと思っていたんですよ。

それで、ぜひそれ(まんが家)になりたいと思ったんです。

当時から絵を描くことが好きだったし、回りからも上手いって言われていたので、ちょっと自信もあったんですよね。


――そこから、実際にどういうことをしたんですか?


15歳のころから投稿を始めて、17歳のときに賞をいただきました。

ただ、そこからが大変だったんですよ。

絵にはそれなりに自信があったんですけど、まんがは絵だけじゃダメなんですね。

僕はストーリーを作るのが苦手だったので、担当さんにネーム(まんがの下書き)を見せても、良くない点をたくさん指摘されて先に進めないんです。

それが最初のプロの壁でした。

当時の僕は絵が上手ければまんが家になれる、絵が上手い人がまんが家なんだと思っていたんですが違いましたね。

それで、その頃から、真剣に「お話」を考えるようになっていったんですよ。

その後、まんが家を目指しつつ、高校を卒業して、熊本の大学に行ったんですが、1年通ったところで「この時間がもったいない」と考えて、上京することにしました。

まぁ、勉強もイヤだったんですけど、とにかくこのまま大学生を続けていたら埋もれてしまうって危機感が大きかった。

つい遊んじゃうじゃないですか、大学生って(笑)。


――大学に同じようにまんが家を志していた同志みたいな人はいなかったんですか?


いなかったですね。

というか友達に自分がまんがを描いていることを隠していたんですよ。

今はどうか知らないですけど、当時って、素人がまんがを描いているとバカにされたんです。

僕はオタク呼ばわりされたくなかったので、プロになるまではこっそりやろう、隠れまんが家で行こうって決めていたんです(笑)。

プロになって成功すれば一目置かれますから、こそこそやる必要はなくなりますよね。

そういう意味でも「一日でも早くプロになって認めてもらいたい!」って気持ちが強かったと思います。

それで大学をやめて、とにかく現場に行きたいと思って、担当さんにアシスタントの口を紹介してもらいました。


――初めて見たプロの現場はいかがでしたか?


当時(1994年)ジャンプで「翠山ポリスギャング」を連載していた甲斐谷忍先生(「ソムリエ」「LIAR GAME」など)のアシスタントに入ったんですが、なによりビックリしたのが、プロの原稿の美しさですね。

ジャンプの誌面って再生紙だからざらざらしてて汚いじゃないですか?

でもその原版はものすごくきれいなんですよ。

想像していたものの10倍はきれ いでしたね。

同時期にいろいろな仕事場に行きましたけど、どこに行っても原稿の美しさに感動させられました。

自分の描いたものとは比べ物にならなかったです。


――そのほかにプロの仕事で感動したことってありますか?


甲斐谷先生の連載が終了した後、徳弘正也先生(「ジャングルの王者ターちゃん」「近未来不老不死伝説 バンパイア」など)のお世話になったんですが、徳弘先生の、予定通りテキパキと仕事を進めるところに感心しましたね。

あの人は本当に「プロ」ですよ。

僕もつねづね見習いたいと思っているんですけど、どうも僕はそういうまんが家じゃないみたいで(笑)。


――徳弘先生のところではどういう作業をしておられたんですか?


「ターちゃん」とその次の作品(「水のともだちカッパーマン」)の背景を描いていました。

結局、1年半くらいお世話になったんですが、そこで、本当 にいろいろなことを教えてもらいましたね。

人物の輪郭の描き方とか、表現手法とか…。

アシスタントを辞めたあとは、年賀状くらいしか交流がないんですが、徳弘先生は僕の一生の恩人です。


――尾田先生のアシスタント時代というと、和月伸宏先生(「るろうに剣心」「エンバーミング」など)のことを挙げる人が多いですよね。

徳弘先生の仕事場をお辞めになった後、すぐに和月先生の仕事場に参加されたんですか?


そうですね。

ただ、和月先生のところにいた時期はそんなに長くないんですよ。

毎週ずっと詰めていたのは4ヶ月くらいじゃないかな。

それ以降は自分の連載の準備をしたかったので、隔週でお手伝いするような形になっていきました。


――なにか和月先生の仕事場の思い出を教えていただけますか?


和月先生の仕事場では、とにかく多くの出会いがありました。

「まんが仲間」というか、「ライバル」というか、そういう友人たちに巡りあえた場所でした。

環境としては最高だったと思います。


―― 一時期、ジャンプ人気作家のほとんどが和月先生のアシスタント出身だったって時代がありましたよね。


アシスタント時代から「みんなで一緒に連載しよう!」と切磋琢磨してましたから、それが実現したときはとてもうれしかったですよ。


――当時のライバルたちの中で、とりわけ意識しておられるのはどなたですか?


武井宏之さん(「シャーマンキング」など)ですね。

彼は昔っからすごいセンスが良かったんですよ。

今でも「すげえな」って思わされ続けてます。

彼は、「これは僕には描けないな」という絵とか構図を、さらさらと平気で描くんですよ。

メカとかもうまいですし。

すごい人ですよ、本当に。


――尾田先生が「ONE PIECE」で連載デビューされるまでのお話を聞かせてください。

まず、パイロット版とも言える読み切り作品「ROMANCE DAWN」ですが、これはどういうふうにして生まれた作品だったのでしょうか?


海賊をモチーフにしたまんがを描きたいということは、中学生くらいの頃から考えていました。

ただ、それを短い読み切り作品ではやりたくなかった。

絶対に話のスケールが小さくなるし、伝えたいことが描ききれませんから。

やるなら連載でってこだわっていたんです。

でも、どうしても連載にたどり着けない。

連載以前の読み切り作品のネームで片っ端からボツを食らうという状況で…。

それでもう本当にどうしようもなくなって、「これでダメだったら、諦めるしかない」と覚悟して描いたのが「ROMANCE DAWN」です。

僕にとっては、背水の陣で出した伝家の宝刀だったんですよ。

だから、内容も壮大なストーリーの入り口部分だけを描いたというか、明らかに続きがあるようなものになってますよね。

「僕はこういう作品を描きたいんです」ってお知らせみたいな(笑)。

結果として、それが連載にしてもらえることになって「ONE PIECE」になりました。


――基本的な設定とかは「ROMANCE DAWN」の時点で完成していましたよね。


そうですね、ルフィがいて、ゴムゴムの実があって…。

ちなみに「ゴムゴムの実」は最初「ゴムの実」だったんですよ。

でも担当さんに「ゴムの実って実際にあるんじゃないの?」って言われて、「じゃあ、ゴムゴムの実にします」と。

けっこう軽い気持ちで変えちゃったんですけど、今にしてみると、ナイスアイディアでしたね(笑)。


――とはいえやはり、中学時代からの壮大な構想があってこそでしょう。


いやいや、構想ってほど大それたものではないんですよ。

実際、内容についてはほとんど何にも考えてませんでしたし。

決めていたのは最低限の設定と壮大なストーリーにしたいってことくらいです。


――それは意外です。

読者としては、クジラのラブーンのエピソードで張られた伏線の意味が、最近ついに明かされたことなどから、ものすごく緻密な設定があると思っていたんですが…。


尾田:あれは、結果的に秘密が明かされるのにものすごい時間がかかっただけですよ(笑)。

もちろん、ラブーンを描いた時点で「ガイコツの音楽家」が登場するということは考えていましたけど、デザインは考えてませんでしたし、いつ出すかも決まっ てませんでした。

気持ち的にはもっと早く出したかったんですけど、どんどんのびのびになっていって、最近やっと出せたという、それだけの話ですね。

僕はおおまかなストーリーを途切れ途切れのお話しで考えているので、どの順番で出して、どれくらいの時間をかけて語っていくかとか、そのへんは適当 なんです。

連載のネームでボツを食らって別の案を考えないといけないときとかに、「あ、ここであのネタを使おう」とか、そんな感じで作っているエピソード も多いんですよ。


――それはたとえば?


「魚人」がそうですね。

実は魚人は第3話で登場する予定だったんですが、その時点で はボツになってしまったんですよ。

でも、そのアイディア自体はずっと僕の頭の隅っこにあり続けて、アーロン編でやっと使えた。

これもホン トはもっと早く出すつもりだったんですけどね。

とにかく、描いていると話がどんどんのびていっちゃう。

読者としては「こんなに遠くのことまで考えていたのか!」って印象を受けるかもしれませんが、僕にしてみれば「こんなに遠くのことになるとは思わなかった!」って気持ちなんですよ(苦笑)。

だから、当初の見込みではもっと早く完結させる予定だったのが、気がついたらこんなことになってる。

1年半くらいで仲間が全員そろって大冒険をして、5年くらいで終わるつもりだったのに。


――ちなみに、完結まではあとどれくらいかかる見込みなんですか?


それは気が遠くなるのであんまり聞いて欲しくない質問ですね。

うーん、半分は行ったと信じたい。

…いや、もうそういうことを考えるのはやめよう!(笑)


――「ONE PIECE」は、まんがだけでなく、アニメも大人気ですよね。

アニメは連載開始2年後くらいにスタートしましたが、先生はアニメ版「ONE PIECE」をどのように受け止めましたか?


アニメ化はうれしかったですよ、やっぱり。

ただ、どういう人たちが作るのかってところに心配と興味があって、監督やプロデューサーに早く会わせてほしいって思いましたね。

あと、ルフィ達の声を誰がやってくれるかも気になりました。

実は声優に関しては、アシスタント時代、「ROMANCE DAWN」を描いたころからいろいろ考えていて、ルフィは田中真弓さんがいいって思っていたんですよ。

だから、本当に田中さんにやってもらえることになったときには興奮しましたね。


――それは希望を出したんですか?


それが、ぜんぜんそういう話をしていなかったのに、田中さんになったんですよ。

僕は アニメのことは全てプロに任せよう、ヘタに口出しするのはよそうってスタンスでいたので黙っていたのですが、オーディションに田中さんが来てくれたんです ね。

で、実際にセリフをしゃべってもらって、「これだ、この声だ!」って。

アニメ化ではいろいろうれしいことがありましたが、なによりうれしかったのは、主人公を思い通りの声優さんに演じてもらえたことですね。


――すごいドラマチックな話ですよね!

では次に、そのあまりにすさまじい内容が話題の単行本読者コーナー「SBS」について教えてください。

これは、どういった意図で始められたんですか?


子供のころ、作品名は挙げませんけれども、あるまんがの読者コーナーが途中で無くなっちゃったんですよ。

とても楽しみにしていたので、すごくガッカリして。


――人気が出てくるといろいろと忙しくなって、読者コーナーを続けられなくなるってケースは多いみたいですね。


僕はそれに納得できなかったんです。

だから、自分がまんが家になったら、絶対に読者コーナーを続けようって決めました。

まんがに限った話じゃないんですけど、「自分がやられてイヤだったことはしない」ってのは基本ですよね。


――でも、週刊連載をしながら、あれを書くってのは大変じゃないですか?


はがきを一気に読むのは大変ですから、毎週少しずつ読んでおいて、SBSに使えそう なヤツをこまめに仕分けしておくんですよ。

で、単行本が出るときにそこから、載せるものを選ぶんです。

まぁ、それでも丸1日はとられますよね。

それに加え て単行本の表紙も書き下ろさないといけませんから、大変じゃないといえばウソになるかな。

でも、これはもうやめちゃいけないものだと決めているので、もう嫌がられてもやめませんよ(笑)。

それに大変ですけど、楽しくもあるんです。

子供たちは想像もしないようなことを言ってきますしね。

みんな、ありえないほどアホなことを言ってくるんで、「自作自演なんじゃないの?」とか疑われることもあるんですが、SBSは100%、読者のはがきで作ってます。

ちゃんと僕が読んで、僕が選んで、僕が書いてますよ。


――ということですので、SBSファンの皆さん、これからもどしどし投稿しましょう!

さて、これが最後の質問です。『ONE PIECE』完結までは、まだだいぶ時間がかかりそうですが、まんが家として、その後に描かれてみたいモチーフなどはありますか?


そうですね、いろいろやってみたいという気持ちはあります。

まんがに限らず、映画みたいなものも作ってみたい。

ただ、以前とは違い、壮大な大作よりも、短くてヒネリの効いたお話を描きたいという気持ちが大きくなってきました。

もう僕は「ONE PIECE」を終わらせたら、二度と長期連載はしないと思うんです。

完結後は、鳥山明先生みたいに、たまに 単行本1巻分だけのお話を連載するような暮らしをしたいですね。

あのスタイルにあこがれています(笑)。

だから、そのためにも「ONE PIECE」には全力投球したいと思ってます。

これが最初で最後の長編マンガだと思えば、モチベーションも下がりませんし。


――限界までやってやろう、と。


死なない程度にね(笑)。


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